長編映画を作ると決めた
どうも、監督の山下です。
山下武昭といいます。よろしくお願い致します。
長編映画の企画をしよう。
その正確な始まりはいつだったか忘れた。
社内で部署の移動が決まりそれまで所属していた部署を自分の能力が生かし切れないという理由(だったように記憶している)で新たに新設された部署に入ることになった
映画部だ
映画部は自分ひとりだけの部署で映画制作を目的とする部署である。
映画制作をするために社長にまず長編映画企画の話したのが昨年の11月の末(2017年11月30日)だった。
その時を起点として映画制作プロジェクトが始まった。
ここで。。。
そもそも自分とは一体何者なのかを話したいと思う。
興味がある人がいるのかは謎だが読んでいただいてる人がいるのであれば本当に嬉しい、泣いちゃう、ハグもしてあげる。読みたくない人は他へどうぞ。
話は大学入学まで遡る。
大学に入学した時に自分は、映画監督になる。と決めたのだった。
もともと映画好きで自分に何が出来るかを考えた時に導き出した答えがそれだった。
ただ大学は普通の大学、特に芸術でもなければ映像に特化したわけでもない工学部だった。
映画研究会に入り、しゃにむに映画を作りまくった。自分本位の。元来人見知りで友達の少ない自分はそんなに仲間を集められるような性格ではなく兎に角映画研究会のメンバーを集めて映画を作りまくった。
大学でデビューしなければ絶対に映画監督にはなれない。
そう思っていた自分は、何故か自分の作品がいつも一番だと高をくくっていた。
結果どこのコンクールにも通らず、大学デビューは不発に終った。
夢をあきらめようと思い、一度就職をしたが一年間で退職した。
映画の夢をあきらめきれなかったのだ。
映画の専門学校に入り直した。
本当にその時間は夢のようでもあり、楽しくもあり、同時につまらなくもあった。
作りたい作品のために動けなかったからだ。
在学中から映画の現場に顔を出し始めた。
しかし、何度か映画の現場に出るうちに
やはり自分の作品が作りたいそう思った。
映画の現場に出ていては馬車馬のように働き、日銭を稼ぐのに精いっぱいで自分の作品を考える余裕など到底なかった。
だから離れようと思った。
その時、現場の人にも言われた。
本当に作りたいものがあるならそっちをやれ。
そもそもお前には向いていない。
今ある事に集中できないなら帰れという事を言われたような気もするし、邪魔だとも言われたとも思う。
自分勝手な事ばかり考えて何を言ってるんだ。本当に映画が好きなら今携わっている事をすべてやり遂げてから辞めろ。
どれもこれも今の自分には大切な言葉だったように思う。
自分の作品を作り上げるために動き出した。
自主映画を作り始めたのだった。
自分のやりたかったことを兎に角形にする。
結果、それを作るのに三年間かかった、貯金も底を尽きた。
その映画の制作途中に出会って自分を拾ってくれたのが社長だった。
山下組作ろうよ
そういってくれた。
社長に拾ってもらいつつなんとか映画を完成させた。
完成した時、本当に嬉しかった。たくさんの人に感謝が止まらなかった。
その半年後、とにかく自主映画からの卒業がしたかった自分は
長編映画が作りたかった。
発端はそれだけだったように思う。。。