映画の根本とは脚本。 ~part1
どうも一緒に映画を作りましょう、映画監督の山下武昭です。
ブログを読んだ人がもしかしたら自分たちでも映画を作れるのかもしれないな
と思っていただけたら嬉しいです。
映画を作る上で大事な事がある。
とても大事な事
シナリオ
つまり脚本だ。
これは映画の骨である、血でもある。ここから数ある名作映画が生れて行く。
つまり映画の土台であり設計図だ。
予め言っておきたいのだが、自分は脚本の先生でもなければ脚本家でもない。
あくまで脚本に対する持論とその概念的な話を思いつくままにここに記すつもりだ。
脚本についての表現技法等については巷で売られている脚本の解説書なりなんなりを読めばそちらの方がよいと思う。
下記に二つほど脚本に関しての名著を紹介しておく
一つは先日亡くなられた日本の名脚本家橋本忍さんの「複眼の映像」だ。この本は映画業界ではとにかくすべての人がおそらく読んでいるぐらいの名著なのでぜひ映画ファンや映画に興味ある人で読んでいない人がいれば読んでもらいたい。
そこに描かれているのは黒澤明監督との魂の記録でもあるし脚本にかける魂の記録が記されている。脚本家としての姿勢でもありそれこそが橋本忍さんの生き様だ。
もう一つは野田高梧の「シナリオ構造論」
橋本忍さんは聞いたことあるけどこの人は誰?っとなる方も多いと思うが、東京物語で有名な小津安二郎監督作品の脚本を数多く書かれた方である。自分なりに言えば橋本忍さんが動ならこちらは静である。どちらが優劣ではなくどちらもトップである。日本映画の脚本家のバイブル的本で日本で脚本について書かれてある本の最古参の本であろうと思う。
脚本についての構造分析から一体脚本とは何ぞや?という哲学的問いに関してのアプローチも記してある。自分はゴジラVSメカゴジラ等で有名な脚本家三村渉さんにこの本を紹介してもらい三村さん自身もこの本で勉強した。ご本人談であるので確実だ。
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ありとあらゆる監督や脚本家が頭を悩ませ四苦八苦して
苦渋の努力の末生み出すものと言ってもいいこの脚本。
脚本が無ければ映画は作れない
脚本の存在なくして映画は無いと言ってもいいと思う。
どんな映画にも脚本、シナリオが必ず存在する。
映画と呼ばれるものなら尚更だろう。
ちなみに脚本を
映画の英語のタイトルクレジット表記で言うとscreenplay
たまにwritten byと英語タイトル表記で表示される場合があるが
それの違いについては下記のブログが参考になると思うのでリンクを
僭越ながら勝手に貼っておく。
そして
この脚本について映画をちょっと勉強したことがある人なら誰でも聞いたことがあると思う
「どんなに名匠の監督でも良い脚本が無ければ良い映画は絶対に作れない」と。。。
to be continued →