宮崎駿監督が映画を作る上で大事にしている四つの事 ~part1
どうも一緒に映画を作りましょう、映画監督の山下武昭です。
ブログを読んだ人がもしかしたら自分たちでも映画を作れるのかもしれないな
と思っていただけたら嬉しいです。
ブログを書く前に一言
はい、取り乱しました失礼しました。
先日、本で気になる部分がありました。
宮崎駿監督が映画作りにおいて大事にしている事の四つでした。
これは映画監督だけでなくクリエイターなら誰もが心がけなければならないと思われる言葉でしたので紹介していきたいと思います。
一つは「面白い事」
これはまあ作る人なら当たり前というか
あえてつまらない事をしようと思って面白さを狙うならまだしも
じゃあどれだけの人に面白いと思ってもらえるのかはまたむずかしいですね
とはいいつつそれが本当に面白いかどうかは結局の所クリエイターが本当に自分で面白いと思って作っているのかにかかっている気がしています。
何故かというと
作るモノが面白いかどうかは最後まで分からない
当たり前の事ですけどこれその通りなんですよね
作ってみて初めて面白いかどうかわかる
だからその面白さ事態を常に自分が信じ続けられるかどうかに常にかかっている
クリエイターはその責任を感じなければならないという意味でもやっぱりこの面白い事というのは非常に大事な事なんだろうなって思いますね。
当たり前の事をどれだけ当たり前にできるかはどの分野においても変わりはないという事でもあり
自分なりに見て面白いと信じ続けられるかどうか、そしてそこに客観性を持たせるかどうかはまさにクリエイター次第
一口に客観性って言っても千差万別だしどれだけ客観性を持とうと思ったところで
一人だけで持てる力は限られている
自分が考えている以上の客観性を持たせるためにはいろいろな人との関わり合いがどれだけそのクリエイターにあるかどうかも試されているとも言えますね
ついつい作る時には自分の世界観にこだわりがちになり
独りよがりすぎるものになりがちでそれはモノを作る人全員が一度は経験していることではないでしょうか?
それはそれでよいのですしそれを通すべきだと思いますが
出来るだけ広い視点で物事を捉えつつ
そこに自分だけのテーマを見つけて伝えて行く
そこに信じられるほどの面白さがあればおのずと面白いものはついてくる
っと解釈しています。
二つ目は「作るべき事」
作るべき事ってつまり作る意味があるかどうか?
それは誰かのためにモノを作るのと同じだと思います
その面白さって誰のために作ってるの?
なんのために作ってるの?確かに面白いかもしれないけど
誰も見てくれないならそれは作る意味に値するものなのか?
っていう問いだと思います。
この問いに対して勿論
いやいや
そんなものいらん、俺は俺の好きなように作って俺が自己満足するためだけに作るのだ!
そういう主張もわかります。
まあこれって
アーティストなのかクリエイターなのかによってこの答えは違ってくるのだと思います
究極のアーティストなのであれば本当に我が道を突き進み兎に角誰の為でもなく作って完成した時がその創り出したものの完成形なのだと
ちなみにアーティストに限らずそういうクリエイターも中には存在してもいいと思います
これはクリエイターなら一度は言ってみたい言葉ではありますよね
ただクリエイターとして、自分が作り出すものが一体誰のためになるのかは自分自身で考えて作ろう
って言う事だと思います
それは結果的に面白さを追求する事にもつながるし自分自身の好みとは別にやらなきゃならない事が出てくるかもしれませんし
それはもしかしたらめんどくさいし作る上で嫌な事かもしれません
ただそれが作るためのものであるならばやるべき事でもあるのではないか
と思います
自分の好みとは別に自分の作りたいものが存在してくることによってその作品が自分以外の誰かのために存在するものになる。
結局は誰のためになるかは想像でしかないのかもしれないですが
ただそれを考える事によってそのクリエイターにとって根本的に自分が作り出したものが喜ばれるという一番の可能性をはらんだものになる
自分が作ろうとしているものは一体誰のために作ろうと思うのか
一度考えてみることによって面白さと同時に自分が作るものの責任を感じる事が出来る
それを踏まえたうえで作品制作に取り組む
クリエイターとしての自分の姿勢はなんなのか
これから生み出すものがどういう意味合いを持って生み出されて欲しいのかを提示する
それは生み出したうえでじゃあご勝手にというわけではおさまらない
それだけの影響力を持っていることを自覚することにもつながってくるのだと思います
つまり
この自覚こそがクリエイターにとって一つの指標、ものさしになるのだと思います
to be continued →