映画ができるまでのあれやこれや

映画監督が映画を作るまでってどんな?について日々のつぶやきややっていることを記録!!

気が付けば20代も終わり。

 どうも映画監督の山下武昭です。前回に引き続き書いて行きたいと思います。

 

長編映画を作りたいと思ったのには

作りたいという単純な動機以外にもあった。

 

とある先鋭的なデビューをして一世を風靡した当時29歳の映画監督が

「10年続けてればなんでもその道のプロになれる」

一語一句合ってるわけではないが確かそんな内容だった。

この言葉の元ネタは悪人正機という吉本隆明さんの本の引用だったと思う。

 

この言葉を聞いたときはどこかホッとした思い出だけがあったのと

肩を押された気になっていた。

自分でもやればできるんだと。。。

 

自分が映画監督になりたいと思ったのは19歳になる年だった。

自宅の部屋の片隅でジョーズのポスターを見ながらこれからの行く末について考えあぐねて導き出した答えがそれだった。自分は相当単純志向だと思う。

 

気が付けばその映画監督がデビューをした29歳になっていた。

その時から10年間も経過していた。

 

大学では自主映画を撮りまくり、大好きな映画を沢山見て、大学を卒業してから専門学校に入学して映画の現場にも出た。

 

三年をかけて作ったSFアクションものの自主映画で自信も持つことが出来た。

自分でもやれば出来るんだと。

そこからのつながりで映画監督として会社に所属も出来た。

 

ただ

自分は本当に映画監督としてプロになったのだろうか?

いや、この際概念としてのプロがどうとかは余り関係がないどう思われるか、そんな事よりも

映画らしい映画である2時間ないし90分の映画すら完成させてない自分は

自分が納得する映画監督になれたのだろうか?

 

自分の答えは否だった。

 

それでも自分は自分なりに作り続けていたという自負があって、今度こそ長編に挑戦しなければならない、自分なら出来ると言い聞かせてもいた。

この思い込みこそ最大の挑戦への第一歩なんだと。

 

今思うとそれはより“自分だけ”ではどうにもならない事を痛烈に感じるちょっと前の出来事でもあったように思う。

 

映画は一人では作れない。チーム戦だ。

当たり前である。

ただ、そんな事は自分の自主映画作りから心の底から感じていたことではあったしわかってると思ってもいた。

 

監督として、クリエイターとして自分勝手に思い通りに撮りたい、本当にその作品に自信があるモノ、納得のあるモノを撮らなければ意味がないだからそういう作品を作らなければならない。

そういう映画が撮りたい。

そのために

そういうシナリオを書かなければならない。

そのシナリオに賛同してくれる仲間を集めなければならない

 

そしてたまたまその時に素敵な出会いがあった。。。

 

 

 

 

ここで今更ではあるが

いきなり結論と前置きをしたい。

 

読んでくれている人がいらっしゃるのなら

極力ネガティブな話題は出来るだけ避けたいが

結果は言ってしまえば

自分にとって今回の長編映画の企画は

失敗したのである。

紛れもない失敗を犯してしまった。

 

そのことについてここで整理と共に書きの残していき、これを読んでくれる人がどれだけいるかはわからないが、読んでくれた人が少しでも自分のような失敗をすることがない事を切に願う。

そして、もし少しでも気が向いたら自分の事を応援してほしい、協力してほしい、仲間になってもらいたいと思っている。

長編映画を作ると決めた

どうも、監督の山下です。

山下武昭といいます。よろしくお願い致します。

 

長編映画の企画をしよう。

 

その正確な始まりはいつだったか忘れた。

 

社内で部署の移動が決まりそれまで所属していた部署を自分の能力が生かし切れないという理由(だったように記憶している)で新たに新設された部署に入ることになった

 

映画部だ

 

映画部は自分ひとりだけの部署で映画制作を目的とする部署である。

映画制作をするために社長にまず長編映画企画の話したのが昨年の11月の末(2017年11月30日)だった。

 

その時を起点として映画制作プロジェクトが始まった。

 

ここで。。。

そもそも自分とは一体何者なのかを話したいと思う。

興味がある人がいるのかは謎だが読んでいただいてる人がいるのであれば本当に嬉しい、泣いちゃう、ハグもしてあげる。読みたくない人は他へどうぞ。

 

話は大学入学まで遡る。

 

大学に入学した時に自分は、映画監督になる。と決めたのだった。

もともと映画好きで自分に何が出来るかを考えた時に導き出した答えがそれだった。

 

ただ大学は普通の大学、特に芸術でもなければ映像に特化したわけでもない工学部だった。

映画研究会に入り、しゃにむに映画を作りまくった。自分本位の。元来人見知りで友達の少ない自分はそんなに仲間を集められるような性格ではなく兎に角映画研究会のメンバーを集めて映画を作りまくった。

 

大学でデビューしなければ絶対に映画監督にはなれない。

 

そう思っていた自分は、何故か自分の作品がいつも一番だと高をくくっていた。

 

結果どこのコンクールにも通らず、大学デビューは不発に終った。

 

夢をあきらめようと思い、一度就職をしたが一年間で退職した。

 

映画の夢をあきらめきれなかったのだ。

 

映画の専門学校に入り直した。

本当にその時間は夢のようでもあり、楽しくもあり、同時につまらなくもあった。

作りたい作品のために動けなかったからだ。

在学中から映画の現場に顔を出し始めた。

 

しかし、何度か映画の現場に出るうちに

やはり自分の作品が作りたいそう思った。

映画の現場に出ていては馬車馬のように働き、日銭を稼ぐのに精いっぱいで自分の作品を考える余裕など到底なかった。

 

だから離れようと思った。

 

その時、現場の人にも言われた。

本当に作りたいものがあるならそっちをやれ。

そもそもお前には向いていない。

今ある事に集中できないなら帰れという事を言われたような気もするし、邪魔だとも言われたとも思う。

自分勝手な事ばかり考えて何を言ってるんだ。本当に映画が好きなら今携わっている事をすべてやり遂げてから辞めろ。

 

どれもこれも今の自分には大切な言葉だったように思う。

自分の作品を作り上げるために動き出した。

 

自主映画を作り始めたのだった。

自分のやりたかったことを兎に角形にする。

結果、それを作るのに三年間かかった、貯金も底を尽きた。

その映画の制作途中に出会って自分を拾ってくれたのが社長だった。

 

山下組作ろうよ

 

そういってくれた。

 

社長に拾ってもらいつつなんとか映画を完成させた。

 

完成した時、本当に嬉しかった。たくさんの人に感謝が止まらなかった。

 

その半年後、とにかく自主映画からの卒業がしたかった自分は

長編映画が作りたかった。

 

発端はそれだけだったように思う。。。

 

 

 

 

 

何でもいいから映画作るのだ!

という決意を新たにした今日。

 

実は数ヶ月前から

動き出していた映画の企画がありました。

 

その制作に向けてどんどん動いて

順調に進んでいた・・

 

そんな中でたくさんの出会いがありました。

もう映画界のすごい人とか。

 

本当に奇跡みたいな出会いも。

そしていただいた言葉。

 

その言葉に

監督はハッとしました。

 

そして人生の大きな決断をしたのです。

 

一旦白紙にする。

そして、とことん脚本を練り上げる。

 

今本当にやりたいことの

できる環境でないことを感じ

会社員の地位を手放す。

 

ということを。

 

 

その場面に立ち会っていました。

監督の気持ちがストンと腑に落ちて

向かう方向が決まった

 

それが隣に座っていた

わたしにも伝わってきました。

 

まあ、そんな

これまでの経緯はまた少しずつ

書いていきます。

 

まずは今日

 

「作品を絶対作る!それがどんな駄作であっても」

(絶対駄作にはならないけど、と呟きながら)

 

そう宣言した監督を見て

その隣でこのブログを立ち上げました。

 

ここは深夜のファミレス。

 

さて今後

どんな展開が待っているか。

 

このブログの筆者のわたしは運命学の鑑定士

監督の今年の運勢は・・

 

ズバリ!!

「ジェットコースターのような1年!!」

 

このブログは

監督本人もたまに筆者になるかも!!

 

ではまた次回!